患者さんに聞くCTEPH体験談

体験談 1東京都在住 I.C.さん
情報の収集と交換が未来を変える
15年に渡る経験を通して

発症から最初の入院まで

私のCTEPHの病歴は約15年になります。開胸手術を受けたのは5年前ですね。CTEPHが原因で心不全を起こし、生死をさまよったことを考えれば、今、こうして話していることも奇跡のようなことです。

CTEPHで悩ましいのは、息切れなどの症状は現れますが、外見では何ら普通の人と変わりがないため、そんな重病を患っていると思われないことです。病気が発症するまでは本当に健康体で、元気が私の代名詞のような感じでしたので、友人と歩いていて「ちょっと待って、息切れがするから」とか「ちょっと具合が悪いの」といっても、「何よ、頑張りなさいよ」といった反応でした。息切れだけでなく、朝起きづらいとか、だるいという症状もあったのですが、症状が症状だけに、自分の中でなんとなくやり過ごして、なまけ病のように思っていたところもありますね。

ところが、日に日に症状はひどくなりました。例えば、今日は階段を3階まで上がれたけれども、次の日はためらって2階で止まってしまう。翌日には1段、2段上がって、もう苦しいといったような感じでした。
横になったり、座ってゆったりしたりしていると症状もなく楽なのですが、少し歩いただけで、もう息苦しくて、心臓の動悸が止まらないという状態になりました。バッグも持てないくらい、ハアハア苦しそうにしている私を見て、ついに友人からも「絶対どこか悪いから人間ドックに行きなさい」と言われて予約した矢先、ドックを受ける直前に、意識を失いそうになり、救急車を呼んでもらったのです。

行った先は大学病院の救急外来でした。採血やCTなどいろいろな検査をしているうちに、教授の先生なども集まってきて、「右心が大きくなっているから、何か原因があるはずだ」などとお話されているのが聞こえてきました。そうこうしているうちに、家族も集められて、「一体何が起きているんだ?」と穏やかでない状況になっていましたが、すぐに原因を特定することはできず、入院ということになりました。今は検査や治療法もだいぶ進んでいるようですが、当時は医学的に分からないこともたくさんあったようです。

いわゆるエコノミークラス症候群との診断はついたのですが、それが一過性のものであるのか慢性のものであるのかは様子を見ないと分からないとのことでした。「これは肺血栓塞栓症で、中には命が落とされる方もいる病気なんですよ」と聞かされましたが、この時はまだ実感がなく、自分は良くなるものと思っていました。1ヶ月ほど経って、結果的に慢性の肺血栓塞栓症だとの判断が下り、「この病気は外科的な治療が望めない病気なので、薬を使った対症療法しかない」ということを言われたのです。ただこの時に、慢性血栓塞栓性肺高血圧症やCTEPHといった病名をはっきりと伝えられたか記憶もあいまいで、この病気の何たるかを、周りも自分もあまり理解していなかったので、半ば治ったつもりでお薬さえ飲んでいれば大丈夫というくらいの認識でした。でも、家庭の医学みたいなものを読むと、とても怖いことが書いてある。とはいえ、その頃はそんなにひどい症状でもなく、書かれている内容と自分の現実の体感にギャップがあり過ぎて、どうしても当てはめられないし、当てはめようともしませんでした。「本当のところ、自分はどうなんだろう」という漠然とした不安は心の底にありましたが、その声にはふたをしていましたね。

心不全からの復活

ところが6年前、それまで緩やかだった症状が急激に悪化しました。
「もしかしたら、私は死ぬかもしれない病気なんだ」と、家庭の医学に書いてあったことが、まさに自分の身にじりじりと迫り、まるでよみがえっているように感じていた矢先、ついに心不全を起こして救急車で運ばれたのです。まさに生きるか死ぬかの瀬戸際で、初めて自分の病気がいかに深刻であったのか実感しました。CTEPHは、ちょっと頑張れば無理がきくこともあり、また自分がそんな大病をするわけがない、と信じたくない気持ちもあって、命を落とす人もいる病気と聞かされても、家庭の医学を読む以外に自分で情報を集めようとはしませんでした。ICUに入っている私を本気で心配した周りの友人がいろいろと調べてくれて、初めて自分の病気が難病指定されていると知ったのです。さらに、都内に専門外来のある病院があることもわかり、セカンドオピニオンを受けに大学病院の先生をおたずねしたところ、外科手術のできる別の病院の先生をご紹介くださったのです。

開胸手術をしていただいたあとは、手術前に43mmHgあった平均肺動脈圧が14mmgHgにまで下がり、飛躍的に良くなりました。ちょうど悪くなる時にどんどん悪化していったみたいに、とんとん拍子に良くなっていって、しばらく薬も止めていたくらいです。手術の1年後あたりからまた徐々に肺動脈圧が上がってきて、3年目あたりから薬を再開しましたが、前回、6ヶ月ほど前のカテーテル検査では、驚くことにまた圧が下がっていました。薬の効果ももちろんでしょうが、治療を受けてからは、少しでも体を動かすように心がけていることも良い結果が出ていることにつながっていると思います。それまではもっぱら、車の生活でしたが、最近はおかげで体力もついてきたように思います。

CTEPHは、悪化しないために動いて体力をつけなければいけないけど、体が負担を感じるほど動き過ぎてはいけない、という病気です。例えば、プールに行って水中を歩く程度はできるかもしれないけど、泳いだりするのはちょっと負担が大きいかもしれません。実際に有酸素運動などは避けるように言われていますが、そういうこともやってみようかと思えるくらいに、病気に対して気持ちが前向きに変わりました。15年前に発症して診断を受けてからしばらくは、ずっと気持ちが下向きだったのですが、手術をして良くなったら、気持ちも上向いて、いろんなことをやりたい、やってみよう、という希望がわいてきました。それまで吸っていたタバコは当然やめました。やはりタバコは本当に良くないです。できることをとにかくいろいろやってみたいという気持ちは、あの経験を通して、「今生きていられるんだから、それだけでも儲けものの命じゃない?」というところもありますね。開胸手術やカテーテル治療やお薬など、医療が発展したおかげで、今日、こうしていられる。本当にありがたいと思っています。

知ること、つながることの大切さ

今は、私が発症した時に比べてインターネットも普及し、情報の収集や交換もかなりしやすくなっていると思います。実際に、最初にCTEPHの診断がついてから手術に至るまで8~9年間あったわけですが、その間に医学は目覚ましく進歩してい て、当時は望めないと言われていた外科治療は何年も前に始まっており、それだけでなくカテーテル治療やお薬も進化していますが、そういった情報も様々なところから知ることができます。自分の病気は難病指定されているということも、6年前に改めて知ったわけですが、それもこれも情報収集の賜物です。やはり、病気そのものは受け入れないで、病気の自分の今の現実を受け入れて、知るということが本当に重要だと思います。

また、患者会というのもとても有効な手段だと思います。開胸手術を受けた際に、本当に珍しい病気と聞いていたので、同じ病気の方と会うなんて思いもよらなかったのですが、専門の先生がいらっしゃる病院に行くと、CTEPHの方や、手術を経験された方などたくさんの方とお知り合いになれて、患者会があることも知りました。患者会に入ってみると、同じ悩みを共有できるし、いろいろと情報交換もできます。かつての私のように、自分の病気は一体何であるのか分からず、どこへ行ったらいいのかも分からない、という患者さんたちも、まだまだたくさんいらっしゃると思います。

今では私も、患者会の活動に参加するだけでなく、集まりを企画したりするようになりました。ホームページも仲間とともに自分たちで運営しています。特に勉強会などをするわけではないですが、同じ病気を経験した仲間たちですので、みんなで集まって食事をしたり、遊びに行ったり、仲良く楽しく過ごして、他の肺高血圧症の患者さんもお誘いしたりしています。こういった集まりに参加されなくても、ホームページをときどき覗いていただくなど、常に、情報収集しておいていただくことはお役に立つのではないかと思いますね。医療技術の進歩は本当に早いですし、動きを把握しておくことは、とても重要なことだと思います。

また、CTEPHの治療に携わっていらっしゃる先生方は患者会の集まりなどにお声をかけても、気軽に参加していろいろとお話を聞かせてくださったりと、本当に患者の痛みを分かってくださいます。CTEPHを経験した患者さんは、人の立場に立って考えられる、優しい方が多いですね。友人はもちろん、そんな方々に囲まれていることも私が前向きに考えられる理由だと思います。周りに支えていただいて今の私があると思っています。

I.C.さんも参加された「肺高血圧症患者さんのための赤倉山荘への旅プロジェクト」の様子。

ガイドの説明を受けながら約1時間半の散策や自然を感じる森林セラピーを経験しました。

片岡雅晴先生(慶應義塾大学医学部循環器内科)と福島裕之先生(慶應義塾大学医学部小児科)による講演会も開かれました。